中国茶の始まり

■1994年8月に中国に初めて留学しました。
北京大学に1ヶ月でした。

私と中国茶はここからはじまります。
大学の寮は2人1部屋でした。6畳程度の小さな部屋でした。現在はどうかわかりませんが、1994年当時、中国は衛生状態が良いとはいえませんでした。

少し高級なレストランに入っても、出される食器は皿やグラスが油で汚れていました。食べ物を自分の小皿によそう前に必ず拭かなければならないほどでした。そんな中国ではありましたが、なぜかお湯はいつも、至る所に用意してありました。どうも生水は衛生的でないので、飲料水は必ず沸騰させてから使用するからでした。

私達の寮の小さな相部屋は、なぜかいつも留学生が集まっていました。そして、毎日ジャスミンティーのティーバックが用意してありました。寮のお掃除の方が毎朝、ティーバックを用意してくれていたのです。

自然とジャスミンティーを飲みながら、他の学生と話が弾みました。若かったんです。当時、私は19歳でした。他の留学生達も20歳そこそこでした。話した内容は今となっては覚えていません。たぶんその日にしたことや授業のことなど、たわいないおしゃべりだったと思います。また、大学を卒業してからどんな事がしたいかとか、将来の夢なども語っていたように思います。

私はその留学仲間との語らいが好きでした。私たちの合部屋は小さなサロンのようだったと思います。ジャスミンのさわやかな香りが漂う空間。お茶を通して話をした、体験。

これが、私の中国茶との出会いです。寮に供されたティーバックのジャスミンティーなんて、今思えば、あまりいい味はしません。しかし、その香りと時間を一緒に共有した仲間。あの楽しかった時間が私と中国茶の原体験です。

中国茶の始まり2

大学ではチューターとして現地の学生がお世話してくれました。彼女は5年生でした。中国の大学も4年制でしたので、もしかして留年なのか?と思いました。

しかし、違いました。
中国は1989年に天安門事件を経験しました。ご存知のように政治的闘争です。大学生は天安門事件において中心的役割をしました。そして、軍による制圧後、彼らは1年間の兵役を余儀なくされました。

つまり、北京大学では、天安門事件後、学生は強制的に兵役をさせられました。兵役の期間は大学によっても違うそうですが、北京大学は一番きついレベルだったようです。チューターの彼女は1年間兵役をしたので、5年間大学に在籍しているとの事でした。

初めての中国留学が終わり、中国で起こったことを忘れていました。
その後、アメリカに1ヶ月ほど滞在する機会などにも恵まれ、中国のことは、ただただ熱い夏の日の思い出となりつつありました。


しかし、そんなある日の夜、なぜか、もう一度中国に行こうと思いました。

やはり、1994年のあの中国での経験は強烈な体験だったのです。あの大陸の匂いや景色、見るもの全てが新鮮で、どことなく日本の高度成長期にタイムトリップしたかのような熱気。それは、アメリカの活気とはまた違うものでした。

再び大陸へ行こう。

その時、私は大学2年の秋でした。

中国茶の始まり3

今度は大学の夏休みの1ヶ月という短期ではなくて、もう少しゆっくり腰を落ち着けて中国を見てみたい。という気持ちを抑えることが出来ませんでした。

私は大学に入学するのに1年浪人をしていましたので、大学を休学して1年間中国に行くのは親に申し訳ありませんでした。そこで、大学を休学しないで、最大限有効に中国に留学する方法を考えました。

中国の留学を斡旋する機関などにも足繁く通いつめました。

その結果、半年間なら休学しなくても中国に行ける事がわかりました。
そして、行き先は上海に決めました。

中国茶の始まり4 上海に行こう!

■1996年6月、中国への2度目の留学は上海でした。上海に決めた理由は、北京は前回行ったのでそれ以外の中国がよかったからです。

候補地は広州、香港(まだイギリスから返還される前でした)、西安、成都、重慶などから選びました。1996年当時で一番動きがダイナミックなところがいいなと思いました。

すると、バンド地区などで建設ラッシュが始まりつつあった上海がもっとも適しているように思えました。

留学の目的を「激動の中国をしっかり分析すること」、と「語学の習得」としました。上海でマンダリン(中国の標準語)があまりきれいでないと聞いていたので、留学先を演劇の専門大学にしました。

現在東海大学の教授をされておられる葉千栄先生などを輩出している大学です。MXTVという東京のローカルTV局があり、当時葉千栄先生の番組がありました。当時は毎週楽しみに見ていました。

中国茶の始まり5 上海編

■ある週末、他の日本人の留学生と、ちょっと遠足に行こうという話になりました。急遽決まりました。決まったら早いです。その次の日には電車の切符を入手して、電車に揺られていました。

行き先は杭州です。行き先は南京か蘇州かニンポウか杭州でした。単に上海から近すぎず遠すぎずの距離にあったからです。なぜか杭州になりました。

杭州行きの電車の中で中国人のおじさんに会いました。彼も杭州は上海に仕事に来て、杭州に戻るところでした。

いただいた名刺には、副経理の文字がありました。副経理とは日本式に言えば副社長あたりでしょうか。温厚であまりえらそうに見えませんでした。平日だったのですが、なぜか、仕事は大丈夫とのこと。次の日、杭州を案内してくれると言います。

お願いしました。

そして、三月箪という、とても美しい湖などをボートで回った後に、運命的といいましょうか、出会ってしまったのです。

中国茶の始まり6 上海編

■北京ではジャスミンティーが好まれる傾向にあります。それは、北京では、お茶が取れないからです。お茶の産地は中国中部から南部です。ジャスミンティーはジャスミンの花の香りをお茶の葉につけたフレーバーティーなのです。

昔、交通手段が馬車や運河など限られていた頃、北京までお茶を運ぶ間にお茶はしばしば劣化したそうです。そこで、ジャスミンなどのフレーバーティーが発達したのです。

杭州はお茶の産地です。龍井茶というお茶の産地として大変有名です。緑茶です。中国の緑茶は日本のものとは製法が違います。日本ではお茶を蒸して作りますが、中国では煎ってつくります。

新茶の時期になると中国のお茶屋さんでは、店頭で釜煎りをしている風景をみることができました。

そして、私たちが連れて行ってもらったのは、龍井茶の名前の由来となった井戸でした。昔その井戸から龍が昇ったと言われる伝説の井戸です。

我々は、その日の予定を全て終えて、あるお茶屋にきました。店頭では新茶のいい香りがします。

私は、その龍井茶がほしいと思いました。おじさんに話すとお店の人と交渉してくれるとの事。中国では値段はあってないようなものでした。いつでも値段は交渉です。大阪のようです。

中国人同士でも交渉は難しいのですから、日本人の僕らが交渉しても吹っかけられるに決まっています。

中国茶の始まり7 上海編

おじさんにお願いしました。私のお願いしたポイントは最上のお茶です。3軒周りました。そして、最上のお茶をみつけました。私は当時お茶の味などわからなかったので、地元の下の肥えている、おじさんにお任せました。

値段の交渉をして、100gほど購入しました。

お茶の味は何度もいろんなお茶を飲んで初めてわかるものだと思います。その龍井茶は、はじめ、よくわかりませんでした。非常に繊細な味だったのです。雑味がなく、澄み切った味でした。

いつも飲んでいるような、大味ではありませんでした。それだけはわかりました。

これが、高いお茶!?

はじめはわかりませんでした。しかしその後、友達が中国に旅行する度に、龍井茶を買って来てもらいましたが、未だにあの味を超えるお茶には出会えていません。

そして、3度目に行った香港で、ドロ!?みたいなお茶に出会います。

中国茶の始まり8 香港編

■1997年8月、大学4年の夏に就職活動が終わって、香港に一人旅にでました。
10日間の旅でした。香港が中国に返還された直後が見たかったんです。
旅行ですが、現地の香港人の生活のようなな旅がしたいと思いました。
「ラッキーハウス」という安宿に泊まりました。20畳くらいの部屋に2段ベッドがぎっしり詰まった、宿です。

飲茶をいただいていて、お茶をいただいたとき、ここはやはり北京でも上海でもないと実感しました。プーアル茶がでてきました。赤みがかった黒っぽい水色。飲むと口いっぱいにカビのような香りが漂います。まずい!
はじめは本当にそう思いました。

中国茶の始まり9 香港編

しかし、飲み進めていくうちに、さらさらしたプーアル茶ではなくて、このドロドロしたかび臭さがとても病み付きになっていきました。自分でも不思議でした。

なぜか、香港の油っぽい料理にとてもよく合うのです。風土に適したお茶だからこそ長く飲まれているのでしょう。

香港と接している中国大陸の都市。深セン。1970年代までは、人口3000人の農村でしたが、鄧小平の経済改革解放の指定都市になるやいなや、急速に経済が発展し、300万人の大都市になりました。

バラの花のお茶を買いました。
露天で必死に茶器を売るおじさんがおりました。でもなぜか彼からは買いませんでした。

中国茶の始まり10 台湾編

■2004年6月台湾の東方美人を求めて、台湾にやってきました。
台北ではラッキーなことが続きました。

6日間の滞在は台湾のお茶屋にたくさん行こうと決めていました。地元誌「台北ウォーカー」がちょうどお茶屋特集でした。全て行くつもりで望みました。

ある、お茶屋さん。
奥の方から、日本語が聞こえてきました。正確に言うと電子辞書から日本語が聞こえてきました。
女主人が日本語を勉強している模様です。
声をかけました。
「日本語教えますよ。」

中国茶の始まり11 台湾編

次の日、私はそのお店へ出かけました。
そして、その女主人に日本語を教えました。
そのとき、おいしいお茶を出してくれました。満足でした。


中国茶の始まり12 台湾編

観光局へ行きました。台湾で一番おいしい東方美人茶を購入するためにやってきました。産地へ行って、そのお茶を買いたいんです。と言うと、観光局の係りの方が方々へ電話をしてくれました。割と賢いお姉さんでした。

すると、その観光局内の会議室から1人のおじさんがでてきました。そのおじさん、なんと東方美人の産地の方だといいます。そして、お茶を作っている人を知っていると言います。

その東方美人を作っている産地の方へ携帯電話ですぐに電話してくれました。そして、ラッキーなことにその産地の人が台北にこの週末やってくるとの事。私は会う約束をしました。

「最高にいい東方美人をください。」と頼みました。

中国茶の始まり13 台湾編

ホテルのロビーで待ち合わせをしました。
グランドホテルという、台湾で最高のホテルです。
実はその前日までは、ランクの落ちる宿に泊まっていたのですが、一泊だけ最高のホテルにしようと思い予約しておいたのです。いい生活はその逆を知らないと実感できません。

その東方美人はほとんど台北などには出回っていないのだそうです。いいお茶なのだそうです。

少しずつ、何かうれしいことがあったとき、何かを達成したときなどに飲んでいます。